ことばの使い方の教育
お友達のお家に遊びに行った時のこと。我が子がお友達オモチャをいたく気に入り、手放さない。持ち主の子が「貸して、返して」と訴えても、いま遊んでるから!と抱きかかえてしまう。それを見ていた持ち主のママが子供に「△ちゃんはそのオモチャを持っていないから遊びたいんだよ。可哀想だから貸してあげて」と声をかけました。
「オモチャを持っていないのが可哀想というのはおかしいと思う。私の子供は可哀想じゃない、あなたの子供のオモチャがうらやましかっただけ」って抗議しちゃった~と、オモチャを手放さなかった子のママさんから後で聞いた話。
子供が可哀想かどうかは母である私が決める。確かにウチは買い与えたオモチャの数は少ない。だから児童館やお友達の家で既製品のオモチャを見ると興奮して遊んでしまう。でも、家には私(ママ)手作りのおままごと道具や、子供と一緒に工作して作った遊びものがたくさんある。家ではそれで楽しそう遊んでいるから、私の子供は「オモチャを持っていなくて可哀想な子」ではない。
というおハナシ。でも、もしかしたら相手のママは「オモチャを持っていなくて可哀想」ではなくて「目の前にあるのに遊べないのは可哀想」という意味で言ったかもしれないよ?など思ったけれど、なんとなく何も言えず。
自分にとっては何気ないひとことでも、言われた相手には様々な想いを抱かせてしまうんだな~と改めて認識した出来事でした。
「可哀想」という言葉はちょっと難しいのかな。使い方によっては、発言する側が優位に立って相手を下に見ているという印象を与えるもんね。無意識に使っているようだったら気をつけた方がいいのかもしれない。
色んなママさん達と出会って話をしていると、子供に対する気持ち・教育方針は本当に人それぞれ。いちがいに良い悪いのジャッジは下せないなと思います。ママの育成歴や交友関係などなど、それまでに歩んで来た人生の中での経験が反映されているわけだから、そうそう簡単に言動を否定したりはできないよね。
とりあえず、他人から言われて嫌だと感じる言葉は、自分は使わない。ということを心の中で再確認しておきます。